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・幻覚 今回の支援活動のパートナーであるヘンリーと私、リー・アンは、キキという少女にトラウマ解消のワークをしました。彼女は19歳から23歳くらいに見え、幻覚に囚われていました。彼女のトラウマがあまりにも強く、未だに津波に見舞われていると思い込んでいたのです。3 時間ほどのワークの後、彼女の意識はハッキリしてきました。後日訪ねてみると、彼女は日常生活に復帰できるようになり、過去のフラッシュバックに悩まされなくなったようでした。 ・麻痺 私、リー・アンは、50代から60代くらいの男性にトラウマ解消のワークをしました。彼は、助けを求めて10日以上も歩き続けたため、両足が20日たっても麻痺したままでした。1 時間ほど、ブレインジムの3次元のバランス調整(3DR)と動きの再教育を行った後、彼は足の感覚を90%以上取り戻しました。 ・心身症的な問題 いくつかの個別セッションで、ヘンリーは 75%の人が、怪我をしていないにも関わらず、膝の症状を訴えていることに気が付きました。多くの人が痛みを感じ、立ち上がったり座ったりすることが困難だったのです。医師も、治療を求めてキャンプへ来る人々の多くが、同じ問題を抱えていることに気が付きました。問題が心身症的なものだと思われても、医師には痛み止めの薬を与えることしかできませんでした。 ・高所恐怖症 イムロスという20代後半のお針子の女性は、高いところを怖がっていました。なぜなら、彼女は波にさらわれて、建物2階以上の高さにまで上げられてしまったからです。彼女は、それ以来、暗闇やほんのわずかな物音、そして幽霊などを恐れるようになっていました。45分のブレインジムと EFT のセッションの後、彼女の表情は、目に見えて明るく和やかになりました。彼女は、ガタガタするハシゴの上でも、手助けなしに上れるようになりました。 ・警官からの暴行によるトラウマ ヘンリーと私、リー・アンは、メダンの5歳の男の子とその家族にトラウマ解消のワークをしました。その子の父親は、友人の同僚でした。その子は、公園で警官に何度も蹴られ暴行を受けたことがありました。その子は、たまたま運悪く、そこに居合わせただけだったのです。 インドネシアには、独特の生活のリズムがあり、それは必ずしも時間通りのものではありませんでした。クラスは定刻には始まらず、十分な参加者が集まり次第、順次、複数のクラスが開催されるというものでした。 また、キャンプでの日常生活に合わせて、クラスを行うのも困難でした。子供や一部の大人たちは、途中でキャンプでの日課に出なくてはならず、他のキャンプから来た人々も、夕食が配られるのに間に合うよう帰れるかどうかを、気にかけていました。 クラスにふさわしい静かな場所を見つけることさえ、時には困難でした。私たちは、草の上に 大きなカーペットを敷いてクラスをしたこともありますし、寝室として使われているテントを利用したり、たまたま空いていたテーブルを囲むこともありました。 「学習メニュー」の内容 ブレインジム ・PACE ・ポジティブ ・ポイント ・レイジー8 ・グラビティ・グライダー ・フットフレックス ・カーフ・ポンプ その他・EFT 2006年度報告:再びバンダ・アチェへ、 そして新たにジャカルタへ 六月の初旬に、ヘンリーと私、リー・アンは、バンダ・アチェへ戻ってトラウマ解放のワークを行いました。また、ジャカルタを訪ねて、地震の被災者にワークを行いました。ジャカルタにいる被災者は、地震で活発化したメラピ山が噴火することを恐れていました。今回の支援活動の資金は、バーレーンとドバイ在住の、ノーライニ・マフムードとエディス・ライドローの二人のブレインジム・インストラクターと彼らの生徒たちからの寄付によってまかなわれました。 アチェにて アチェでは、ヘンリーと私は、新たに YUM アチェ・コミュニティーという NGO と協力して、活動に当たりました。YUMは、コニュニティ・センターを運営し、貧困層への能力開発プログラムの提供といった活発な活動を通じて、草の根運動から大きく成長してきた組織です。小口融資のプロジェクトを運営し、トラウマ・カウンセリングや、フィジカル・セラピー、能力開発プログラムの教師やプロを抱え、彼らは地域のニーズに合った活動をしています。 空港からバンダ・アチェへ車で向かう途中、いたるところで復興の機運が高まっているのを見かけるのには、とても勇気づけられました。瓦礫の山や水浸しの場所は片づけられ、あちらこちらで建築作業が行われていました。倒壊した学校も建て直されていました。人々は、生活の物理的な基盤を再建しつつありました。活気のある様子に、状況が上向きつつあるのを感じました。 YUMとの活動で、ヘンリーと私は、アチェにブレインジム・インストラクターを育てるという長期的な目標が、また一歩実現に近づいたのを感じました。現場で、親たちや心理学者たちの話を聞くと、YUMとその関係者が、地域のニーズにあったサポートをもっと必要としていることがわかりました。 不幸にも、この地域には、資源が乏しく、また、津波の危険がさった今となっては、家庭内暴力に、より多くの関心が集まっていました。実際に、ある心理学者が、女の子を連れてきたのですが、彼女は父親の虐待によって半ば麻痺状態になっていました。家庭内暴力の領域については、さらなる支援が必要であろうということしか私には言えません。なぜなら、アチェの人々は、長い間、過酷で暴力的な環境のなかで生活しながら、自活を目指して奮闘していたからです。地元 の学校を訪ねてみても、教師たちから報告されたのは、子供たちの間に、多動性や攻撃性が高まっていることでした。こうしたことは、アチェに対する国際的な関心が薄れていく一方で、いまだに解決されないトラウマが残っていることを暗に示しています。トラウマ解消という意味では、まだやるべきことがたくさんあるのです。 私たちは、トラウマ解消のための通常のクラスよりも、私のブレインジム一日セミナーを現場にあうようアレンジして教えることに決めました。これによって、YUM の関係者は、トラウマ解消 のワークの下地となるテクニックに慣れ親しむことができます。コースの内容は、ブレインジム の脳の三次元モデル、支援を必要とする子供たちへの作用、ブレインジムのアクティビティのうち14種類について、詳しく理解することができるようにしました。これに参加すれば、役に立つブレインジムのツールが増えると同時に、次回アチェで開催する予定の、ブレインジム101認定クラスへの下準備にもなるのです。 ジャカルタにて ヘンリーは、当初インドネシアの心理学会と連絡を取り合っていましたが、地震が起きてからは、結局、ジャカルタの大学病院であるDr.サージト病院の生理学科と一緒に活動することにしました。ジャカルタは、ヘンリーのセマラングの家から車で3時間です。食糧が不足し始めたので、彼は、バーレーンとドバイの後援者からの資金援助の一部を利用して、食糧やオモチャ、その他の必需品を手配しました。リー・アンが合流するまでに、二回にわたって、みんなでヘンリーの車のトランクにいっぱいオモチャを積み込んで病院に運びました。 今回、私たちは主に病院に入院している子供を対象に、彼らの痛みの軽減に努めました。また、私たちは、心理臨床科を拠点に、トラウマに多角的にアプローチする計画を立てました。この計画には、心理学者やキネシオロジストだけでなく、演劇の教師やダンスの教師、物語の語り部も関わっていました。ブレインジムのアクティビティのいくつかは、ダンスや物語の中に取り入れられました。 この活動は現在も進行中で、ブレインジム・インストラクターのノーライニ・マフムードが、 現地を訪れてサポートしていく予定です。 |